トルコに行ってきました!!

 

トルコ日記

注意事項:ここは旧HPげれげれスライムのへれへれ日記からのお引越ページです。2008年の11月終わりに差し掛かって“ウヲまだ引越してねーじゃん??という事に気が付いた管理人が必死こいて引越作業中、中、です。とりあえず文章だけ引っ越して来たので写真とか一旦全てパーです。でも写真自体は残ってるから、もう一度編集してあげます。前より一杯。文章も加筆修正かけます。続きももう記憶ないけど書きます。てか行きの成田空港までしか上がってなかったのに今日気付きました。って旅行2002年なのに!!

 

 

旅立つ(成田空港に着く前)まで

8月某日

去年の暮れ、旅に出る直前のFと再開。浮かれるFの顔を見てて独身時代を思いだし、すっかり羨ましくなったMは思わずこう言ったのだ。


「来年、どっか行くときは誘ってくれる?」


そしてあっという間に時は流れて8月。Fからメールが来た。


“今年はトルコ(決定)だけどどうする?”


トルコ?(しかも決まってるし!)トルコといえば寒河江のチェリーランドのトルコ館しか知らないMである。しかし確か世界3大料理の一つに数えられていたような・・・?

“是非お供させて頂きます!!”


ほとんど躊躇無しの二つ返事状態である。(旦那の許可は取った。強引に・・・)女には行かねばならぬ時があるものだ。そして今がその時に違いない!!子供も居ないので本当に今しかない。今もいないけど。早速仮予約。ツアーが成立するといいなあ。
(2008/11/24追記:この頃Fは毎年の様にヨーロッパに行っていた。特にドイツがお気に入りで、「私ドイツ人と結婚してドイツに住む!!」と公言していたのだ。間に小樽の人と結婚する、が入ったが・・・。なので私は誘われるとしたらドイツかベルギー又はチェコ辺りを想像していたので何故??と疑問だったのである。というか36年生きてて未だにドイツ行けてない!行けてないよ!!)

12月5日

旅行は無事催行決定。詳しい打ち合わせの為Fとメール。


“でさ、どこで合流する?”


同じ時間の成田エクスプレスとはいえ、電車で合流するのは面倒くさい。
もう、成田空港着いてからで良んでね?と思いかけた頃メールに返信が。

“私1号車の6のBだよ。”

“!!私6のCだよっ!!”


何たる偶然!別々に取った座席が向かいの席とは!!もうこの旅行、勝ちは貰ったようなものねっ♪旅行の勝ちってなんなのか知らないけど、何となく運命を感じる。ついでにあんたとの縁も感じるよっっ。Fからはこの後駄目押しでこんな返事が・・・。


“今回の旅はきっとついてると思うのだ。なでなら数々の吉兆が・・・。レジで偶然\777ってでたし、天津丼作る時の卵が双子だったし。きっと楽しい旅になるさ。”

偶然といわれればきっと全くその通りなのだろうが、思ってしまった。F、そういうアンタと友達で良かったよ。あたしゃ。旅は道連れ、旅の恥は掻き捨て。ノリの良い連れは欠かせませんて。私的に。(ここで“バーミヤンの日替わりランチってドリンクバーつけると777円だよね”とか余計な事を良い子は言わないよ。この意味、解るよね?)卵の双子はでも珍しいなあ。あたし、貧乏臭くM玉買うからほんっと結婚してから双子の卵、見てないわ~。(2008/11/24追記:浅草今半の高級すきやき弁当を買うと、入ってる煮卵の黄身が必ず双子なのね!びっくりしたよっっ。値段とお味にも。←高いだけあって無茶苦茶美味しい)


12月17日


いよいよ出発当日だ!!


準備は万端。スーツケースベルト、OK!化粧して、歯磨いて・・・よっしゃあっ行くぜっっ!!って。化粧品、今使ったって事は、スーツケースに入ってないし・・・あう~もういっそ??時間が無いし・・・いやいや、でも15日間すっぴんで過ごすか?ノン!いくら“旅の恥は掻き捨て”という言葉があるからといってそんな真似やっちまったならば・・・

旅行中、写真が1枚も撮れんではないかっ!!

そんな訳で、出発5分前に荷解き。あっさり電車1本見送る決意をするM。そのあと“特大スーツケースを所持しての全力疾走”を生まれて初めて体験。普段心電計を持ちなれていて本当に良かった・・・普通の女には辛いぞ。全く持って普通の女ではないので無事次の電車に乗る。大宮で朝食買ってNEXに乗り換え。
(2008/11/24追記:あら嫌だ。私相当若かったわ~。今現在の私は例え荷物が全く無くても駅までの全力疾走、無理である。確かスーツケースは相当重かった上に当時土呂駅の東口側にエレベータはまだついてなかったのだ。つまり階段登ったのね。自力で。すげえっ!すげえよ、自分。)


全席指定の筈の成田エクスプレス。何故かFとYの座席には人が・・・?おる。

小奇麗なOLさんが優雅にコーヒー飲みながら文庫本読んでる。いやさ、今9:40なんだけど。朝の。・・・仕事、何?お姉さん??


どうやらリッチな御仁はNEXを通勤に使っているらしい。新宿着く頃には乗客の半分が消えた・・・。特急料金払って通勤かあ。旦那は真似しないでね?(もっとも東京に10時じゃ大遅刻だが・・・)

ところで、その時の私は知る由もないが・・・この頃FとYは緊急事態に遭遇!!新幹線、上野で立ち往生!!

“山手線で行けばいいかあ・・・”

のんびり、ゆったり構えるYを急かし、Fとっさの判断で“あさま”に乗り換え。(結局これに乗らなかったらMとの合流は無く、NEXでMは途方に暮れたに違いない)“あさま”で何とか東京に到着したFとY。NEXのホームに下りる。1号車の止まるホームを確認して並ぶ。

と何故か目の前を通過する列車。

?!慌てて後ろから走って追い掛けるFとY。


実はNEXは神奈川から来る車両と、埼玉からのが東京でドッキングするのだ。が、二人はそれを知らなかった・・・(放送もあったが聞き流していたらしい。)目の前を行き過ぎたのは先に到着した神奈川からのNEX君。気の毒なのは、近くに並んでいた、“日本人につられてつい走っちゃった外国人”。一緒に赤面しながらさっきと同じ位置へ戻る。外国の人、ごめん。でも、自己責任でお願いします。

10:03 東京駅  無事合流。一路成田へ・・・

NEXに乗り込んできたFとYは異様にテンション高かったので私は一瞬怯んだのだが、そんな訳があったのだ。良かったね!無事乗れて。でもNEXに乗り込んで来た途端大爆笑する人はあまり居ないぞ?目立っていたが、迎えの席な為”知らん人の振りをする”作戦は使用不可だった。

“この人達、何ですか?”

周囲の視線が私にそう問い掛けている気がしたが、私は男らしく無視した。
というかFはともかくY先輩(呼び名はZ先輩、なのだが。)とは会うの退職以来だから超久し振り。社内でその後どんな事があったか効くほうが大事。だってこの頃うっとこの会社出産ラッシュだったもん。およそ一生結婚出来なさそうと目されていた私が寿退社した訳だし動きは相当あったはず。
と、いう訳で。浮かれたOL3人組はさぞ五月蝿かった事と思う。でも当人達には解らない(笑)

そしてくっちゃべってる内に・・・ようやっと成田空港なんである・・・(プロローグ、長っっ)



12月17日続き


なんとまだ初日の続きだったり・・・。書くことが多い日は長いのです。

とにかく我々は無事に成田空港まで着いたのだった。

NEXは乗ってしまえば成田行きだからね。第一と第二を間違わなければ着くものです。

まずは宅配便で届いていたFとYのスーツケースを無事受け取り、集合場所へ向います。

F:「中まで行けばいいのかな?」

そういって搭乗手続き窓口の方に入っていくF。

後に続こうとした私は“○ーラシア旅行社”の名札の付いたお姉さんと目があう。

お姉さん:「こちらでお待ちください(ニッコリ)」

(何イッ)

Y・M:「F-っ。待て、こっちだって!!」

連れだと解ってるなら止めて欲しかったよお姉さん。

直前に

“○ーラシアのカウンター、何処かなあ。”

とかデカイ声で喋ってたんだからFが動いた時にとめてくださいってば、お姉さん。

“この人が添乗員さんのK村さんだろうか・・・?”

添乗員さんは気が利く人が嬉しい。ベテランだと尚嬉しいが・・・大丈夫か?

一抹の不安と不満を胸に秘めつつ何とか全員無事に集合、案内されて奥へと進む。

私を不安に陥れた先程の彼女はK村さんの先輩らしかった。そして本物のK村さんは更に若いらしい。

大丈夫かしらあ?と思いながら待ってると件のK村さん登場。

23歳、独身、色白美人



OK  OK!!

とりあえず美人であれば文句無し!!(そんなの私だけだが)

出欠確認をして、全員いることを確認し、カウンターでチェックイン。

解散してしばらく自由の身となった。

さて

機内食は12,5時間で2回しかでない。だからきっとしばらく出ない。

「昼ごはんにしよう。」

最後の日本食とばかり、昼食は寿司をチョイス。(助六だけど)

飛行機を見渡せる場所に椅子があったので(なんか、穴が開いていたが・・・)

お茶も買って優雅にランチ。

飛行機眺めながら喰う飯は旅行気分を盛り上げる。

だってこれから、飛行機乗るのよ!!

1時間ほどして再び集合した計13名はK村さんと合流してTK51便に無事乗り込み・・・。

M:「いよいよね。Fちゃんっ!」

F:「とうとう行けるのね。Kちゃん。」

忘れてた!!私Mは今でこそMだが、旧姓はKだったのだ!埼玉の人以外では

ずっとKちゃんのままだった、呼び名。

そんな訳でこの先、私Kで通させて頂きます。(日記を頭から書き直す気は毛頭無い)

何年経っても、独身時代の友人は私を旧姓で呼んでくれるのだけど、その嬉しさはオトコには解んないんだろうなー。婿養子の人は別ね。同士だから。
名字はね、別姓面倒くさいから譲るけどアイデンティティは譲って無い訳。それまで築いてきた“自分”って旧姓の自分の姿なのよね。結婚して8年経つけど、私、今でも魂までは売り渡してないから!!ただMさんはMさんで確立しつつ、ある。埼玉の知り合いはKの私を知らないからさ。ま、ええけど。

とりあえず我々は無事機中の人となったのだ。

飛び立って1時間。そろそろ水平飛行も落ち着いた頃・・・。

当分先だろうと予測していた機内食いきなりでちゃうし!!

しかも海苔巻着いてます!!

何の為に先刻“あまりお腹もすいてないのに念の為”お昼御飯をそれも寿司を食べたんだか・・・


これがトルコ航空の機内食だ!!(エコノミー)
あとで写真入れます

これがトルコ航空(エコノミー)の機内食だ!!
きっと写真入れます

揚げ焼きそばと海苔巻とティラミスの組み合わせは如何なものかという素朴な

疑問は置いといて美味しかったです。右上に写ってるおしぼりはミントのコロンヤ。

コロンヤはトルコのオーデ・コロンの様なもの。とてもさっぱりします。

トルコと言えばコロンヤ。そういっても過言ではないくらいトルコ人はコロンヤが大好き♪

と聞いている。

いきなりトルコっぽくて、何か嬉しいなー。

しばらく食事をしないで、おしぼりの匂いをうっとりと嗅ぐ程気に入った様子のF。

早く喰わんとスチュワーデスさんに下げられるぞ。(そしたらマジ切れするよね?早く喰え、喰うのだ。騒ぎ起こしてトルコ着後即日本に返却されたらたまらんぜよ)

ところで、機内食が済んでしまうと正直あまりやることが無い。御飯も到着前にしか出ない。

(途中で軽食(おにぎりかパウンド・ケーキ)は出る。お腹空いてなくてもとりあえず、喰う)

そんな訳で新聞読んだり映画みたり、見た映画にケチつけたり・・・。

・・・長い~~っっ!!

今まで1番遠くてもハワイの9時間しか飛行機に乗ったことがないKは

“人間、肩こりと足のむくみだけで死ねるか解らん・・・”

とか本気で思った程だ。

災害とかでエコノミー症候群でお年寄りグッタリとかってすごく納得できる。

人間、座りっぱなしって本当に辛いのだ。

(FとYはヨーロッパに何回か行ってるのでそうでもないらしい。どうせおいらはハワイが最遠だよ)

そして・・・12,5時間のフライト中7時間は寝たかな!!(マジで何処でも寝られる私たち)という頃

アタチュルク国際空港に到着!!来たぜ、トルコ!

ここで、円をトルコリラに換金してアンカラまで国内線で飛びます。

が、若干1名トラップに掛かる!!

同行者のY本さん(旦那)が、ジュースの自動販売機に今換金した紙幣を投入したのだが・・・

つり銭、出ない事判明!!

F: 「幾ら入れたんですか?」

Y本さん(旦那)「20.000.000トルコ・リラ(1番大きい札)」

M: 「1本2.000TLって書いてありますよ?10本、買わないといけないんじゃ?」

・・・そして、何故か5本しか出て来ないジュースの缶。

現地の方にボられる覚悟はしてるさ。それも旅の醍醐味。だが自動販売機にここまで舐められるとは・・・。

しかし、添乗員さんにすら見捨てられ置いていかれた我々。釈然としないまま国内線ロビーを目指す。

2000万トルコリラ、返せ。と心の中で訴えながら。

あまり気の毒なので(奥さんの視線が冷たい。様な気がした。自分の旦那がやらかしたら私は許さん。)Fと私はダイエット・コークを買い取り、飲み始める。

「でも、トルコ語の缶ジュースの缶ってのも珍しいし、いいよね?」

とか己を納得させようと、そのトルコ語の缶を眺めてると

330ml しか入ってない事に気付いてしまった。

日本円でおよそ160円の缶ジュース・・・観光地並みに高い・・・のに・・・

量まで少ないとはな!

今回のツアーで1番のボッタクリ被害は、間違いなく空港の自動販売機でした。

だって2000万トルコリラでジュース5本って400万トルコ・リラじゃん?

ホテルで生ジュース飲んでもそんなにしなかったよ!!

こうして初日から高い勉強料の洗礼を受けた我々。

アンカラのホテルに着いたのは12時過ぎ。

その日はそのまま、就寝となったのでした・・・グッスン(涙)

12月18日


アンカラのホテルではYとKが同室。(3人旅なので交代で1人部屋に寝た)

その朝は、前の晩遅かったにも関わらずYとKは目覚ましが鳴る前に目を覚ました。

「・・・・・・・・寒いっっ!!寝てられんっ。」

アンカラは大体秋田県と同じ緯度。雪も降ってるし、道路は凍ってる。

トルコの朝は想像を超えた寒さだった・・・。
K(私)は夜中も何回も目を覚まし(寒いから)眠さに負けてまた寝るを繰り返して

いたが、服を着ないと死にそうな気がしたので起きることにした。
この寒さを他の言い方で表すと、“一泊二日のスキー合宿で泉ヶ岳少年自然の家のボイラーが故障し、さらに布団、というか毛布しかないぞ一人2枚きり”以来の寒さだったよっっ。雪山で雨風は凌げるけれど、ジャージに毛布・・・風邪ひくぜスキーどころじゃないぜ。それと同じ感じ??


どうやらYも同じだったらしく、置きだしてきた。

K:「・・・寒かったよね?」

Y:「うん、寝られなかった。」

先輩、布団に入って5秒で寝息をたてていた様な気がするが・・・。
おやすみ、の後「あ、ねえそういえばさー。」って話しかけた時には返事無かったんじゃが。


寝られなかった発言の検証よりもまず寒さをなんとかせねば。
とりあえず2人とも厚着して、更に貼るホッカイロを装着。
しかし、すっかり芯まで冷え切った体にはさして効きやしない。
いや、ごめん。無いよりははるかにマシだったけどさ。


Y:「ねえ、昨夜は眠くて思いつかなかったけど・・・トルコのホテルでも
部屋に暖房位付いてるんじゃない?


K:「  ガビ~~~ン!Σ( ̄д ̄;)// ・・・ 思い付かなかった!!」


トルコを馬鹿にしてた訳ではない。本当に脳味噌からスッコーンと抜けていたのだ!
果たしてホテルの壁には暖房のスイッチがあった。やったね♪

早速スイッチを入れて風にあたって待つ私達。しかし

アッタカクアリマセン (T_T) 暖房壊れてた・・・うふっ
トルコなので想定済みでしたが。

人間、寒いだけでどうしてここまで惨めな気持ちになれるんでしょうね?

冷たい風に吹かれながら、それでも化粧が終わる頃には朝御飯の時間が来ます。

Y:「そろそろ出ようよ?」

K:「はーいっ。」

と・・・

k:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・Yさん、カギ、持ちました?」

Y:「ううん、お願い。後から出て閉めて。」

K:「・・・・・・・いや・・・・・・・・それは・・・・いいんだけど・・・

カギ、ないかも。」

Y:「 ・・・えっ? (`д´;)// 」

恐る恐るドアを開けるうちら。鍵は・・・・鍵はちゃんとあった・・・・。

ドアの外に!!

海外旅行1日目からやってくれるぜっ!!自分(達)。

うら若き女性の部屋(笑うな、一人は未婚だ)のドアノブにぶら下がる鍵。

何か如何にも

“ヘイ!カムイ~ン☆アッハ~ン”

って感じ?

もう、朝から腹が捩れる位笑いました。でも、笑い事じゃないですね。
笑いすぎで寒さは吹き飛んだのでよしとするさ。

ところで。

上の話にはまだ続きがありまして。

この後一人部屋のFと合流して朝食会場へ。

F:「内鍵の掛け方、難しくなかった?」

Y・K:「そんな物、あったの?」

部屋に帰ってドアノブ(今度は内側)を確認。

内鍵がついている筈の部分には意味不明の穴が・・・!

壊れてるし!!

ドアロック(オートロック)だけでよく無事でしたね、私達♪
(しかも鍵を外にぶら下げたままなので誰でも入れる)

この日はアンカラ市内の観光の日。

アタチュルク廟を見て隣のアナトリア文明博物館へ。

イコンとか何だか赤のバックに白線で鹿が書いてある石盤とか見ながら奥へ進む我々。

ナニやら大きい石版(神殿の壁クラス)の部屋に進みます。

石版のサイズのでかさにヒッタイト王国の繁栄に思いを馳せます。

現地ガイドさん:「これは神殿の壁に貼ってあった大理石です。オリジナル、

ベルリンにあります。」

「これは神殿の門にあった像のの足の部分です。オリジナル、ベルリンにあります。」

「これはレプリカです。オリジナル、ベルリンにあります。」

こ、この、ドイツ人~~~っっ !!

しかし、トルコの人はドイツ人をそんなに恨んでないそうです。

だってトルコ人も色々持ってきてるから

とのこと。人の事を責められる立場ではないようです。

確かに・・・イスタンブールにオベリスク(エジプト)建ってたもんなあ。びっくりした。

昼食は何だか素敵なレストランで。

食後バス駐車場に歩いて行く途中、

土産物屋でFの視線が釘付けに・・・ってアレ、箒?

トルコ人ってば雪掃きに箒使うんですよ。棒無しの箒。

「Kちゃん、あの箒、可愛いっ!!」

はしゃぐF。すかさず

「2ドル!!」

値段を教えてくれる土産物屋。

結局Fは散々悩んだ末買わなかった。“トルコで買ったって言っても誰も信じない

だろうし。”その後Fはこの時箒を買わなかった事をずーっと後悔する事になるの

であるが、この時はまだ知らない。トルコの箒。そのFを魅了したあの大きさのあ

のデザインの箒は2度と見掛ける事はなかった。

旅の買い物は思いきりが大事なようです。

この後、バスは一路ゴルディオンの遺跡へ。

道すがら左側にある黒い物体の山に目が魅かれる我々。

ガイドさん:「この辺りには砂糖の精製工場があります。この辺は貯蔵庫です。」

そっかあ、じゃああの山は工場で使う石炭の・・・・

ガイドさん:「あ、あれは砂糖ダイコンです。」

Σ( ̄д ̄;)// な、なにいっ!!

すいません。何か野ざらしなんですけど。黒いのは・・・汚れ?なのかっ??

恐るべし、トルコ。

まあ、精製すれば綺麗?なのか??

そんなアバウトさが好き。

かなり道も天気も悪かったような気がするが、砂糖ダイコンしか覚えてない。

ゴルディオンの遺跡も・・・覚えてない (T0T)/

覚えてるのは

ゴルディオンはミダスの王様

ゴルディオンは“ゴールド=金”の由来

ゴルディオンは“王様の耳はロバの耳”の王様

以上。

12月19日

今日はヒッタイト王国の遺跡:ヤズルカヤとボアズカレ(ハトゥシャス)へ!

特にハトゥシャスは世界遺産。

いやあ、まさか自分が世界遺産を訪れるとは!!

世界不思議発見の世界ですよ。

一生に一度は!そんな夢をこんな早々に叶えてしまって良い物でしょうか?

誘ってくれたFちゃんには感謝の嵐です。

さあ、出発!!

バスに乗りました。

バスは走ります。

まだ走ります。

観光しないうちにお昼になるとは!!

そう、トルコは広いのですね・・・。

雪の中やっとこハトゥシャスに着きました。

雪なので

ライオンの門、スフィンクスの門は観光中止・・・(T_T)

折角だからどうしても、歩いてでも行きたいと言う我々にガイドさんが一言。

「2時間くらい歩けば行けます。でも、無事に帰れる保障はありません。」

誰も歩いて行くとは言いませんでした。

そんなこんなで遺跡だけ観光します。

大理石が並ぶ中、雪で滑るので足元を良く見ながら歩いていると・・・。

何か、ツアーの人数、増えてませんか?

総勢13名の我々のツアー。なのに何か・・・頭数が多いのです。

他所のツアーの人たちでしょうか?

顔を上げると、

「5ドル!!」

「3枚センエン、OK?」

ツアーが13人しか居ないのに土産物屋が同じ数だけ後を着いて来てたのか・・・納得。

しかし、どう考えても“ボラレテル”様な気がする“それ、自分で彫ったんちゃうか?”な

感じの石版を買う気にはなれず、無視して歩きます。

というか、歩きながら土産物なんか見たら

“遺跡観光日本人 トルコで転倒! 頭部強打により他界”

とか新聞の3面記事に載りそうな事態が起こる事確実。

しかし、雪で車もよう来ないような山の遺跡。

土産物屋も、滅多に来ない観光客を逃がすわけにはいかないのでしょうね。

多分、この日ここに観光に来たのうちら以外に1組いるかいないか位でしょう。

が、私の知ったことではないです。

第一、石版は重い。埼玉まで私はスーツケースを持って帰るのです。

それなのに何処の馬鹿が石買いますか?

(答え:埼玉在住の馬鹿←買ったんか!!)

ガイドさん:「そちらの四角い平らな石、ありますね。あれひとつだけ色違います。

その石触った人、お金持ちになると言われています。」

なにいっ?

全員そんなに貧乏とも思えないが(トルコ旅行って高いし)一斉に石に手を伸ばします。

カタッ

我々が手を伸ばしたその先。緑色の石。その上に絶妙のタイミングで

“怪しい石版”を置く土産物屋!!

「5ドル、OK?」

・・・OKじゃないって!!

しかしそのタイミングの絶妙さに大うけした私、そしてFはつい買っちゃいました。

可愛らしい亀の置物を。

ラッキー★亀カメ君♪ごめん、画像消しちゃった・・・
かめ吉 こと “頑張れN君(仮名)3号!”

土産物屋:「このカメラッキーね。」

亀の名前がラッキーなのか、亀が幸運のお守りなのか?(多分後者)

日本人の女、亀好きね!幸運のお守り言えばOKね!

とか誤解させてたらごめんね、土産物屋さん。

多分、ソレ違うと思う。

添乗員さんに「買わなくて、いいんですよ。」と多少キレ気味に言われたが

実は気に入ってます。

帰国後はTVの上を定位置に、我が家に幸運を呼んでいます。

“良い物買ったなあ・・・”(※物がいいのではなく、個人的に可愛いと思っている)

満足しつつ一行は徒歩でヤズルカヤに向かいます。

遺跡の入り口に着くと、茶色い小屋が一杯あります。

土産物屋でしょうが冬なので閉まってる様です。

と、思ったら!!

車がやって来ました!!さっきの土産物屋です。

早速小屋を開けて、さっきと同じ物を並べます。

いや、同じもの買わないし。

帰り道は歩いて我々に土産物を勧める班と先回りしてバスの傍に店を出す班と

見事な連携プレー。

だから、もう買わないって。

ちなみに売り上げは土産物屋十数人で20$弱。生活出来るのか?

この日はもう後は移動のみ。

ただし、山越え。

安全走行(つまりのろい)でバスは行く。決死のミラーバーンを!!

なんて言うか・・・雪国出身なので“どれだけ危険か解る”訳です。

F:「何か、怖いよね。」

K:「寝てた方が幸せだろうね。怖くて眠れないけど。」

k:「ね、Yさん。」

Y:「・・・・・・。」


寝てました!!

さすがは先輩。ちょっと尊敬しました。素敵です。

見習って後は2人とも寝てました。(眠れるじゃん♪)

だって、ホテルまで7時間あったんだもん。

景色は白一色だし。日が落ちると何も見えないし。見えても雪原だけだし。

この日の気温はー4℃でした。

道は凍ってました。ツルツルに。

バスは坂道を走ります。

崖っぷちにはガードレールがありません。

良く生きて帰れたなあ。運転手さん、お疲れ様でした。

12月20日

月日が流れるにつれ、記憶も去ってしまい、このページをほったらかして。

今日ったら、6月の初日なんですのよ。どうした事でしょう?

けどまあ初志貫徹。遥か彼方の記憶をたよりに続きを書き始める事にしました。

だって在土中にFに

『ホームページ、トルコ旅行記で作ろうと思ってえ。』

とか余計な事言っちゃったんだもん。

ってこれじゃ今日の日記よね。さて、トルコのお話。

この日は多分この旅行で1番の目玉と言って過言じゃない日でした。

まず、前日カッパドキア地方に着いてこの日と2泊したホテル。

YUNAK という名前の、何と洞窟の穴にそのままお泊り出来るホテル!

何か、物珍しいだけで設備とか悪いんじゃないのー?

なんて思いませんか?ってか思うでしょ?

私はそう思ってました。正直、期待はそんなにしてなかったんですよ。

ホテルのロビーに到着しても(ほら、やっぱりね)って思うような

小さい普通のお部屋だったし。民家そのままみたいな感じの。

田舎で、他にあまり施設の充実したホテルがないから高い値段がついてて、

で、高級になっちゃってるのかな?なんて。

でも、もはやそんな事はどうでも良かったんですよ。


とにかく外は-4℃の銀世界(というかスゲー大雪)。

暖房効くの?って疑いたくもなる石造りの建物。

“今夜はホカロン手放せないかな?”

そう思いながらくじ引きを引きました。

*洞窟を使っているので、部屋毎に広さや設備に多少ばらつきがあります。

我々は公平を規してくじを引いたのです。

ここで、ラッキー亀さん(前日買った亀の置物)の御利益が!

私、多分当たり組だったと思います。

案内された部屋はまず、広い。

ベッドはセミダブル・・・ダブルかも。大きくてクラシックながら素敵なデザイン

床にはトルコ絨毯。

シンプルな木の書き物机。

大理石の洗面、シャワースペース。(湯船だけは無かった。残念。)

シャワーブースはガラスで仕切られていて。

大理石と、ガラスと、鏡と、金属部分が真鍮。

映画で出てきそうな、そんなバスルームはアメニティも充実。

小さな箪笥みたいな家具の扉を開ければ

TVと電気ポット。なんとCDコンポ。

部屋が暗い事、そして別棟にいるFとYの部屋に行くにはやたら遠い事。

それ以外は不満ありませんでしたね。

不満って訳じゃないのですが、不便な事はちょっとだけありました。

部屋の鍵を掛けるのに、結構技術を要します。

素敵にクラシックな鍵と木のドアの組み合わせは・・・

鍵、刺さっても中々回らないのよね(-_-;))

あとは、食事はとっても美味しかったし(食べたかったものが出たし♪)

暖房も、私の部屋はカロリフェルがX2で付いてたし♪
(カロリフェルとは・・・オイルヒーターに似た物で中がお湯)

それに何といっても朝起きた時の景色。

暗い空の下、雪の降り積もった洞窟ホテルは。

私がトルコで2番目に美しいと思った光景でした。

晴れてたらもっと美しい景色が拝めたのでしょうが、それでも満足です。

さて、ホテルの話だけでどれだけ持たす気でしょうか?

もちろんこの日も行きましたよ!観光に。

丸1日掛けてこの日はカッパドキア観光です。

おそらく誰でも知ってるであろう“3人美女”と謳われるキノコ岩の前で

“ウッフ~ン・ポーズ”(アッハンでも可)で写真を撮る30女三人。

カイマクル地下都市では

『そっちのツアー、何ぼ?あ?ウチなんかOO万だよ?十分だよ?

高い金払って行く事ないよ~?』

とか“全く関係の無いツアーの人に訴え続ける謎のオヤジ”

に絡まれつつも、楽しく観光しました。

“インディ・ジョーンズごっこがしたいなあ・・・”

なんて馬鹿な事を考えつつ・・・頭をぶつけたり。(地下の洞窟だからね。)

“侵入者が入ってきたら通路を塞ぐ”為に置いてある円形の岩(穴開き)

え~と、原始時代のお金みたいなの・・・です。

あれに押しつぶされないように必死になってるポーズで写真撮って。

ギョレメの教会では初めて“トイレチップの領収書”貰ったっけ。

雪の中でも本当に楽しかったなあ・・・

(観光についての記述がとってもあっさりしているのは、ガイドブックに載ってる

という理由からであって“全て記憶から抜け落ちたから”ではないです。

だって私に世界遺産の何を語れと言うのか・・・普通に無理です)

そして、この日の昼食!とっても嬉しいハプニング!!

大雪で予定のレストランに行く事が不可能になってしまった我々。

と店のオーナー!
(自分の店に行けない・・てどんな大雪だよ)

この日、客は我々だけ。店に行くの、無理。この二つの理由で、なんと!!

オーナーの御宅で昼食を頂く事になっちゃいました♪
やったね、超ラッキーー♪

普通の旅行じゃ無いじゃないですか!観光用に契約しているお宅以外の

おうちにお呼ばれするなんて。本当に住宅地の中の、普通の、おうち。

いっぺん行ってみたかったのです。らっきー☆

道が狭いので、ちょっと手前にバスを止めて歩いてお邪魔します。

玄関で靴脱いで(トルコのお家は土足厳禁。日本と一緒)リビングに

お邪魔して。コロンヤ(トルコのコロン)とチョコでおもてなしされて。

トルコのおうちって、本当にトルコ絨毯しいてあって、あちこちにナザールボンジュ

飾ってあって、応接セットと小さい机のセットがあって。

で、トイレも。トルコ式と洋式、どっちもあるのでした。

鍵が壊れてるのも、面倒だから修理しないで使ってるのも、生活感があって

かえって楽しかったです。(一人閉じ込められて大変でしたが。)

そして肝心のお料理。

羊飼いのサラダや葡萄の葉のドルマ、あとシガーラ・ボレイに

トルコ人の大好物:クル・ファスリエ!

私が“トルコに行ったら是非とも食べてみたいトルコ料理”の数々!

これにカボチャとナッツの煮た物と手作りのバクラヴァがデザートでした。

食後にチャイを頂けばそれはもう天国ですよ。とても美味しかったです。

“トルコで家庭料理を御馳走になって、『レストランみたいです!』なんて

言ったら失礼になる。店より家庭料理の方が美味しいのが当たり前”

そう聞いていたので、お料理をシェフではなくオーナーのお母さんが

作ったと聞いた時は、それはもう嬉しかったですね。

ベテラン主婦の家庭料理に勝るものは無いようです。

実際、レストランの味に飽き始めた舌には美味しく感じられました。

世界3大料理、堪能です。トルコに来た目的は果たしました!!

まだ旅行前半だけど(*^_^*)

午後はこの後陶器の街:アヴァノスで工房を見学。

『誰かろくろ体験しませんか?』

の呼びかけにFが果敢に挑戦!!

その後手を洗いに裏の方へ消えた時にFは軽く口説かれていた模様。

Fよ、トルコに嫁に行ってくれ。私が遊びに行きまくるからそしたら泊めてね。

で、見学の後は当然お買い物が出来る訳で。

巨匠の腕前に見惚れるも、作品の御値段を拝見して正気に返り、

分相応にちっちゃ~いお皿を御土産に買いました。

結局人にあげる事が出来ずに今でも私の秘蔵の宝物になってます。

『使わない食器は無駄』

って旦那に言われそうですが、1枚千円の小皿を使う事が出来ない女です。

いいの。眺めてるだけで幸せだから。


12月20日

月日が流れるにつれ、記憶も去ってしまい、このページをほったらかして。

今日ったら、6月の初日なんですのよ。どうした事でしょう?

けどまあ初志貫徹。遥か彼方の記憶をたよりに続きを書き始める事にしました。

だって在土中にFに

『ホームページ、トルコ旅行記で作ろうと思ってえ。』

とか余計な事言っちゃったんだもん。

ってこれじゃ今日の日記よね。さて、トルコのお話。

この日は多分この旅行で1番の目玉と言って過言じゃない日でした。

まず、前日カッパドキア地方に着いてこの日と2泊したホテル。

YUNAK という名前の、何と洞窟の穴にそのままお泊り出来るホテル!

何か、物珍しいだけで設備とか悪いんじゃないのー?

なんて思いませんか?ってか思うでしょ?

私はそう思ってました。正直、期待はそんなにしてなかったんですよ。

ホテルのロビーに到着しても(ほら、やっぱりね)って思うような

小さい普通のお部屋だったし。民家そのままみたいな感じの。

田舎で、他にあまり施設の充実したホテルがないから高い値段がついてて、

で、高級になっちゃってるのかな?なんて。

でも、もはやそんな事はどうでも良かったんですよ。

とにかく外は-4℃の銀世界(というかスゲー大雪)。

暖房効くの?って疑いたくもなる石造りの建物。

“今夜はホカロン手放せないかな?”

そう思いながらくじ引きを引きました。

*洞窟を使っているので、部屋毎に広さや設備に多少ばらつきがあります。

我々は公平を規してくじを引いたのです。

ここで、ラッキー亀さん(前日買った亀の置物)の御利益が!

私、多分当たり組だったと思います。


案内された部屋はまず、広い。

ベッドはセミダブル・・・ダブルかも。大きくてクラシックながら素敵なデザイン

床にはトルコ絨毯。

シンプルな木の書き物机。

大理石の洗面、シャワースペース。(湯船だけは無かった。残念。)

シャワーブースはガラスで仕切られていて。

大理石と、ガラスと、鏡と、金属部分が真鍮。

映画で出てきそうな、そんなバスルームはアメニティも充実。

小さな箪笥みたいな家具の扉を開ければ

TVと電気ポット。なんとCDコンポ。

部屋が暗い事、そして別棟にいるFとYの部屋に行くにはやたら遠い事。

それ以外は不満ありませんでしたね。

不満って訳じゃないのですが、不便な事はちょっとだけありました。

部屋の鍵を掛けるのに、結構技術を要します。

素敵にクラシックな鍵と木のドアの組み合わせは・・・

鍵、刺さっても中々回らないのよね(-_-;))

あとは、食事はとっても美味しかったし(食べたかったものが出たし♪)

暖房も、私の部屋はカロリフェルがX2で付いてたし♪
(カロリフェルとは・・・オイルヒーターに似た物で中がお湯)

それに何といっても朝起きた時の景色。

暗い空の下、雪の降り積もった洞窟ホテルは。

私がトルコで2番目に美しいと思った光景でした。

晴れてたらもっと美しい景色が拝めたのでしょうが、それでも満足です。

さて、ホテルの話だけでどれだけ持たす気でしょうか?

もちろんこの日も行きましたよ!観光に。

丸1日掛けてこの日はカッパドキア観光です。

おそらく誰でも知ってるであろう“3人美女”と謳われるキノコ岩の前で

“ウッフ~ン・ポーズ”(アッハンでも可)で写真を撮る30女三人。

カイマクル地下都市では

『そっちのツアー、何ぼ?あ?ウチなんかOO万だよ?十分だよ?

高い金払って行く事ないよ~?』

とか“全く関係の無いツアーの人に訴え続ける謎のオヤジ”

に絡まれつつも、楽しく観光しました。

“インディ・ジョーンズごっこがしたいなあ・・・”

なんて馬鹿な事を考えつつ・・・頭をぶつけたり。(地下の洞窟だからね。)

“侵入者が入ってきたら通路を塞ぐ”為に置いてある円形の岩(穴開き)

え~と、原始時代のお金みたいなの・・・です。

あれに押しつぶされないように必死になってるポーズで写真撮って。

ギョレメの教会では初めて“トイレチップの領収書”貰ったっけ。

雪の中でも本当に楽しかったなあ・・・

(観光についての記述がとってもあっさりしているのは、ガイドブックに載ってる

という理由からであって“全て記憶から抜け落ちたから”ではないです。

だって私に世界遺産の何を語れと言うのか・・・普通に無理です)

そして、この日の昼食!とっても嬉しいハプニング!!

大雪で予定のレストランに行く事が不可能になってしまった我々。

と店のオーナー!
(自分の店に行けない・・てどんな大雪だよ)

この日、客は我々だけ。店に行くの、無理。この二つの理由で、なんと!!

オーナーの御宅で昼食を頂く事になっちゃいました♪
やったね、超ラッキーー♪

普通の旅行じゃ無いじゃないですか!観光用に契約しているお宅以外の

おうちにお呼ばれするなんて。本当に住宅地の中の、普通の、おうち。

いっぺん行ってみたかったのです。らっきー☆


道が狭いので、ちょっと手前にバスを止めて歩いてお邪魔します。

玄関で靴脱いで(トルコのお家は土足厳禁。日本と一緒)リビングに

お邪魔して。コロンヤ(トルコのコロン)とチョコでおもてなしされて。

トルコのおうちって、本当にトルコ絨毯しいてあって、あちこちにナザールボンジュ

飾ってあって、応接セットと小さい机のセットがあって。

で、トイレも。トルコ式と洋式、どっちもあるのでした。

鍵が壊れてるのも、面倒だから修理しないで使ってるのも、生活感があって

かえって楽しかったです。(一人閉じ込められて大変でしたが。)

そして肝心のお料理。

羊飼いのサラダや葡萄の葉のドルマ、あとシガーラ・ボレイに

トルコ人の大好物:クル・ファスリエ!

私が“トルコに行ったら是非とも食べてみたいトルコ料理”の数々!

これにカボチャとナッツの煮た物と手作りのバクラヴァがデザートでした。

食後にチャイを頂けばそれはもう天国ですよ。とても美味しかったです。

“トルコで家庭料理を御馳走になって、『レストランみたいです!』なんて

言ったら失礼になる。店より家庭料理の方が美味しいのが当たり前”

そう聞いていたので、お料理をシェフではなくオーナーのお母さんが

作ったと聞いた時は、それはもう嬉しかったですね。

ベテラン主婦の家庭料理に勝るものは無いようです。

実際、レストランの味に飽き始めた舌には美味しく感じられました。

世界3大料理、堪能です。トルコに来た目的は果たしました!!

まだ旅行前半だけど(*^_^*)

12月21日

何とした事か!前回、20日の日記を書いたのが6月。今日は?はい。8月28日

です。トルコの記憶も遥か彼方に薄れました!

しかし、昨日から久し振りにトルコ語の勉強を再開したのですよ。そしたら、私の

中のトルコ愛がめきめきと再成長を始めまして。ああ、トルコ~☆とか叫び

ながら愛読書“トル考”を読み返したりなぞしておるのです。

え~と、21日。トルコ5日目です。(15日もあるんだけど・・・何時完成するやら。)

この日は何と!今まで雪で通行止めであった道路が運良く開通。天気も始めて晴

れ!何処までも続く雪の丘。何処までも真っ直ぐ続いて見える道はシルクロード!

そして、路肩には・・・・。

スリップして落ちた乗用車、トラックなど多数(T0T)

ホント、誉めれば見通しが良いけど、用は何にも無い所なんで、風は相当強かっ

ただろう事が容易に想像つきますよ。もちろん、車内はもぬけの空ですが。

皆、何時車取りに来て、どうやって引き上げるんだろう?

そして、スルタンハーヌの隊商宿(跡)、キャラバンサライに到着。ここはもちろん

今は遺跡と化してますんで、ロの字型の石の建物が残っているだけです。シルク

ロードをお宝背負って旅して来た訳ですから石の要塞にでも立て篭もらないと、安

心して眠れなかったんだろうなあ。

食堂跡とか、ハマムの跡とかありましたが、今は全部石の部屋で区別は残念なが

らつきません。

帰りがけ、出口付近でFが動きを止めました。

あ、あれは・・・・・?

何とここの管理人さんと思われる男性が、アナトリアでFを魅了した“トルコの箒”

で雪掃きをしているではないですか!

『Kちゃん、やっぱり私アレ欲しいよう』

『大丈夫だよ。きっと何処ででも売ってるよ。あんな普通に使ってるし。』

しかし、この箒。その後売ってる所は無かったのだな。Fの心残りのひとつになった

のだった。

その後、カタライ神学校に到着。現在は陶器博物館となっているこの建物。高官の

棺などはもちろん移動せずに残ってました。棺の顔の側はメッカに向けられている

そうです。そして、高官の証とも言える大きなターバンが添えられてあります。

この日の観光の最後は、メブラーナ霊廟。メブラーナの名を知らなくても、

“黒い円筒状の帽子に白いフレアスカートのワンピースみたいな物を来て、

クルクル廻ってる謎の集団”

を本やTVで見た覚えのある人は居るのではないでしょうか。アレです。あの教団の

創始者のお墓です。

有名な神学者だった彼は1人の老師に傾倒します。彼の弟子の恨みを買った老師

は怖いから姿を消してしまったのです。絶望した彼はスーヒィーとなり踊り狂って旋

回舞踏者となったそうな。

現在はこの教団法律で禁止されてますが、年に1時期(メブラーナの命日付近:

12月10日~17日)このセマーという旋舞が見られます。ここも雪、降りますから

早めにコンヤ入りしてもいいかも。

ここの外に出ると、金属の飾り皿(直径7センチ位かなあ)を売るおじさんに混ざ

って、小学校低学年位の子も物売りをやってます。日本語で


『1枚、2枚、3枚・・・・・・・・50枚!』

と数える姿が何とも愛らしいので、日本人観光客でこの皿を買ってしまう人は多

そう。日本に居る孫を思い出すのか?いや、買わなくとも良いんだけどね(私買

わなかったし)ただ、やっぱり子供は耳がいいなあと感心する位発音がしっかり

してるんだ。

え~と、この日はあとコンヤからアンタルヤまで移動するのに、7時間バスに

乗ってました。寝ぼけながら0:45ホテル着。部屋の暖房は入れててくれなかっ

たのか、とにかく寒かった事しか感想が無い。

午後はこの後陶器の街:アヴァノスで工房を見学。

『誰かろくろ体験しませんか?』

の呼びかけにFが果敢に挑戦!!

その後手を洗いに裏の方へ消えた時にFは軽く口説かれていた模様。

Fよ、トルコに嫁に行ってくれ。私が遊びに行きまくるからそしたら泊めてね。

で、見学の後は当然お買い物が出来る訳で。


巨匠の腕前に見惚れるも、作品の御値段を拝見して正気に返り、

分相応にちっちゃ~いお皿を御土産に買いました。

結局人にあげる事が出来ずに今でも私の秘蔵の宝物になってます。

『使わない食器は無駄』

って旦那に言われそうですが、1枚千円の小皿を使う事が出来ない女です。

いいの。眺めてるだけで幸せだから。

12月21日

何とした事か!前回、20日の日記を書いたのが6月。今日は?はい。8月28日

です。トルコの記憶も遥か彼方に薄れました!

しかし、昨日から久し振りにトルコ語の勉強を再開したのですよ。そしたら、私の

中のトルコ愛がめきめきと再成長を始めまして。ああ、トルコ~☆とか叫び

ながら愛読書“トル考”を読み返したりなぞしておるのです。

え~と、21日。トルコ5日目です。(15日もあるんだけど・・・何時完成するやら。)

この日は何と!今まで雪で通行止めであった道路が運良く開通。天気も始めて晴

れ!何処までも続く雪の丘。何処までも真っ直ぐ続いて見える道はシルクロード!

そして、路肩には・・・・。

スリップして落ちた乗用車、トラックなど多数(T0T)

ホント、誉めれば見通しが良いけど、用は何にも無い所なんで、風は相当強かっ

ただろう事が容易に想像つきますよ。もちろん、車内はもぬけの空ですが。

皆、何時車取りに来て、どうやって引き上げるんだろう?

そして、スルタンハーヌの隊商宿(跡)、キャラバンサライに到着。ここはもちろん

今は遺跡と化してますんで、ロの字型の石の建物が残っているだけです。シルク

ロードをお宝背負って旅して来た訳ですから石の要塞にでも立て篭もらないと、安

心して眠れなかったんだろうなあ。

食堂跡とか、ハマムの跡とかありましたが、今は全部石の部屋で区別は残念なが

らつきません。

帰りがけ、出口付近でFが動きを止めました。


あ、あれは・・・・・?

何とここの管理人さんと思われる男性が、アナトリアでFを魅了した“トルコの箒”

で雪掃きをしているではないですか!

『Kちゃん、やっぱり私アレ欲しいよう』

『大丈夫だよ。きっと何処ででも売ってるよ。あんな普通に使ってるし。』

しかし、この箒。その後売ってる所は無かったのだな。Fの心残りのひとつになった

のだった。

その後、カタライ神学校に到着。現在は陶器博物館となっているこの建物。高官の

棺などはもちろん移動せずに残ってました。棺の顔の側はメッカに向けられている

そうです。そして、高官の証とも言える大きなターバンが添えられてあります。

この日の観光の最後は、メブラーナ霊廟。メブラーナの名を知らなくても、

“黒い円筒状の帽子に白いフレアスカートのワンピースみたいな物を来て、

クルクル廻ってる謎の集団”

を本やTVで見た覚えのある人は居るのではないでしょうか。アレです。あの教団の

創始者のお墓です。

有名な神学者だった彼は1人の老師に傾倒します。彼の弟子の恨みを買った老師

は怖いから姿を消してしまったのです。絶望した彼はスーヒィーとなり踊り狂って旋

回舞踏者となったそうな。

現在はこの教団法律で禁止されてますが、年に1時期(メブラーナの命日付近:

12月10日~17日)このセマーという旋舞が見られます。ここも雪、降りますから

早めにコンヤ入りしてもいいかも。

ここの外に出ると、金属の飾り皿(直径7センチ位かなあ)を売るおじさんに混ざ

って、小学校低学年位の子も物売りをやってます。日本語で

『1枚、2枚、3枚・・・・・・・・50枚!』

と数える姿が何とも愛らしいので、日本人観光客でこの皿を買ってしまう人は多

そう。日本に居る孫を思い出すのか?いや、買わなくとも良いんだけどね(私買

わなかったし)ただ、やっぱり子供は耳がいいなあと感心する位発音がしっかり

してるんだ。

え~と、この日はあとコンヤからアンタルヤまで移動するのに、7時間バスに

乗ってました。寝ぼけながら0:45ホテル着。部屋の暖房は入れててくれなかっ

たのか、とにかく寒かった事しか感想が無い。

12月22日

はい、皆さん。恒例のトルコ日記月1回更新ですよ~。(最近開き治った)

え~、昨日は12:00もとっくに廻った真夜中にホテルに到着した我々。

寒い部屋にも適応してきまして、潔くセーターを着て、ホカロンをあんか代わりに
布団に突っ込んで寝ました。日程っちゅうものがありますから、無常にも早起きを
強要されます。仕事で4:30起きとか普段からしてますから、気合で何とか起きれ
ますけどね。それより“寒くて寝てられん!”という事情の方が切実。

午前中はまずペルゲ遺跡へ向かいます。BC10世紀に出来た都市らしいんですが、こう毎日遺跡を見ていると段々同じに見えてきてしまいます。町全体が遺跡というダイナミックな規模でして、闘技場やら劇場やらもそのまま残っています。闘技場に商店跡があるのですが、売店ってやっぱり昔からあるのですね。

観戦にはビールってか?

この後バスから降りて彼方に見える古代の水道橋で記念撮影しながらアスペンドスの劇場へ。この劇場は完璧に近い形で残ってるという事で『歌っていいですよ。』とガイドさんに入り口付近から言われていたのです。

察しのいいFが、“多分、ウチらに廻ってくるだろう。”と予測した為、説明を聞くふりしながら、何を歌うか相談する。案の定“若い人”にお鉢が廻ってきて、予測通り歌
うウチら。歌うは“赤鼻のトナカイ”だってクリスマス近いんだもん。

イスラムの国で“サンタの歌”はどうかと思われるかもしれませんが、サンタクロ
ースはトルコ原産。問題ナッシングですよ!この後コーラスをやってる奥様とも
う1曲歌って、お勤め終了。ちなみに2万人収容可能なこの劇場では何と今でも音楽祭などで使われているらしい。石造りの丈夫さを改めて思い知る。日本なら地震で大惨事だね。

午後はアンタルヤの考古学博物館へ。ペルゲ遺跡の出土品が展示されていて、
ペルゲの12神像もココにあります。さらにここには、なんと!サンタクロースの歯
と骨が展示されてます。今ひとつグロイかつリアルな展示物だ。メルヘンは何処へ
行ったの??サンタ・ニコラスも普通に眠りたいと思うのだが・・・とりあえずへぇ~言いながら覗き込んで見てしまいます。


更に今日のメイン。船に乗って滝見物に出掛けます。カレイチ(旧市街)の散策をしながら船着場に向かって歩いて行くと、日曜日なのでカップルやら家族やらいっぱいいます。そして、皆ナッツを歩き食い。真似したかったけど、ナッツ屋を探してたら皆とはぐれてしまいます。残念だけどあきらめました。乗船して海から滝を見に行きます。ところで、トルコ人て釣り、好きですね。防波堤はまだしも、

“どうやってそこまで行ったのさ?”

と聞きたくなる様な岩の上にまで釣りをする人が一杯!しかも全員男!ちょっと日本で見ない光景ですわ。肝心の滝はスケールが大きく、虹が掛かっていてとても綺麗でした。海に落ちる滝なので、水しぶきがかかると、しょっぱい・・・(>_<)/ちょっぴり濡れて、すっかり寒くなってホテルに帰ったのでした。

12月24日

この日は朝から張り切っていました。
だって、日程にパムッカレが入ってるんですもの!

毎日毎日遺跡ばかり(何故なら遺跡が見たくてトルコに来たから)いい加減、どの遺跡が何時代で誰が王の時だか私の脳味噌では把握できなくなっていたのだ。というか、ほぼ全て頭から抜け落ちてますが。

パムッカレはトルコで見たかった物の1つ。

あの美しい石灰棚。あの温泉に素敵に軟らかそうなバカンス中のポッチャリした白人の小父様と水着を着て入りたい・・・。しかし、パムッカレは温泉の湯量が減ってしまい、現在は流す水を制限。入れません(T-T)

っていうか、パムッカレ。浅い所は凍ってますから!冬は水ですから!
寒中水泳になってしまいます。・・・残念。

まあ、パムッカレは午後なんですよ。この日はまずアフロディシャスへ。まずは、生きてる人の居場所。アクロポリスへ。ここはまたスゴイ競技場が綺麗に残っています。グラディエーターの皇帝ごっこで盛り上るFとY。映画見てない私には良く解りませんが。この2人と旅に出る前に、私はどうやら有名所の映画と王家の紋章は見ておかねばならなかったらしいです。劇場の方も上からの眺めが良いと本には書いてありましたが、高所恐怖症の人は下に降りるだけで精一杯だと思います。怖かった・・・。


アクロポリスがあれば当然あるのがネクロポリス。死者の街。朽ち掛けた石棺が荒野の中に点々としてて、中々不気味。おもむろにFが、『写真、撮って。』と・・・何と!石棺の中に!!怖いっての!そこから今正に這い出してますってなポーズを取ってる~!怖い~。呪われる~。結局F以外は怖気づいてココでポーズを取ってまで写真に写る事は無かった。私は憑かれるにしても、せめて言葉の通じる日本人の霊がいいんだ。

昼食をはさみ(蜂蜜の産地で出たデザートは、

蜂蜜とヨーグルトが1:1

というとても甘いものだった・・・。平気で完食したけど)ここで、蜂蜜を使った珍しいロクムが買える。ロクムはトルコ土産の定番の菓子。まあ、ゆべしみたいなもんだな。賞味期限が長いので買って帰るべし。その後ヒエラポリスを廻った我々は憧れのパムッカレに付いた。

え~、ここで必要なものは、タオル。靴を脱いで石灰棚の中を歩くので足拭きは持参しないと砂だらけで靴が履けないぞ。入り口近くで靴は脱いでいくのですが、個人旅行の方は靴も持って入る事をオススメします。(多分置いてけと言われるけど)いい靴は盗まれるそうですので。言うまでも無く、我々3人は最初から盗まれる様な靴は履いてない。

ここは・・・世界3大ガッカリの候補の一つに入れようと思うくらい水が・・・無かった。無いから流れないから、凍っていた。足が痛かったよう。滑って転びそうだったよう。そんなです。冬に行く方、覚悟と注意を。

で、

で、時は流れまくって本日2004年9月11日。社労士試験に落ちて半月、勉強もせずにあそんでるK。今頃になってトルコの続きを書いてくださいなんて涙ちょちょ切れ物のリクエストを下さった方がいて、久し振りにトルコ旅行記を読み直してみました。

書き終わりの文章が、“で、”最後に私は何を書こうとしたのか?それは全くの謎である。韓国から帰ってきてトルコの話を書こうとは思わなかったが、まさか、書き終わった分のトルコの日記が“未だ全日程の半分”というのは何事だ??最早記憶がないぞ?でも、何とか思い出してみます。

残されているメモ書きに拠りますと、この日私はテーブル・クロスを買っている。という事は、だ。海沿いのホテルから歩いて市場に連れて行って貰った日の事であると推測される。そう、ガイドさんとはぐれない様に一生懸命ついて行ったのだ。途中、波止場で“海が俺を呼んでるぜ!”みたいな“もやい綱”を結ぶ奴のような形をした縁石にRV車が乗り上げ、無理矢理そのまま抜けようとしたら、車が完全にやじろべえ状態になった挙げく、何かガソリンが漏れ出して来てた危ないな~~。とか思ったのはこの日だったのではなかろうか。あの車がその後どうなったかなんて知らない・・・。多分、あの車の修理費は相当なモンだったろう。腹側擦りまくってたモンなぁ。“ガキッ!ガリガリッ!!ガーガーッ!!!っていってたし、焦げ臭い匂いもしていた。車はぶつけちゃったらバックしましょう。

この日の市場で、私は肝心な事を思い知る事になる。そう、大事な事。

テーブル・クロスを手に取って。

私:『ブ・ネ・カダル?(幾らですか?)』

おばあちゃん:『・・・・・・リラ!』

何言ってるか聞き取れない (T_T)

飛行機の中でFに教えて貰いながら1から10くらいまでは数えられる私。しかし
1から10しか数えられない私。

いや、100とか1000も言えた筈だったけど。けど。

インフレ大国トルコでは。買い物の単位はウン千ウン百万トルコ・リラ。安物でも。
トルコ石なんか小さくても単位は億だ!で、指を折らないと数字が今ひとつ浮かん
でこないような状態では、金額の数字すら聞き取れん。

多分Fだけじゃなかったかなあ。トルコ語でお買い物出来たの。結局英語が多少
使える店で1200万トルコ・リラで何とかテーブルクロスを買ったのだった。これは、
多分叔母の家にある・・・筈。

この時のホテルは海沿いのリゾート・ホテルだった様だ。何故ならメモ書きに

“ハマムに入った”

と書いてある。観光客向けのハマム(なので残念ながら水着着用)がホテルに
付いてたのだ。ハマムと、ジャグジーと、プールがあった筈。

どのホテルにもある物ではないので、パムッカレでリューカス・リバーに泊まる
人は是非水着を持っていこう。自力で町のハマムに行く人は、パンツ1枚あれば
いいけど。


ホテルのハマムは・・・寒かった。冬場で観光客が殆ど来ない時期はあらかじめ言わないとハマムの準備はされていない。浮かれて早めに行ってしまうとまだ冷たいときもある。まあ、すぐに暖まるけど。真ん中に台の様なものがあって、ここで寝っ転がってぬくぬくするのです。壁際に身体を洗う所があります。が、水着着てるのでのぼせた時に涼んでました。町のハマムなら、体洗ってくれる三助さん女性バージョンが居ると思われ。でも行ってないから解らない。
“足のつかないプール”だと思って泳いでいた所がジャグジーだったとかいう微笑ましいエピソードを作りつつ終了。どうりで水が微妙にぬるいと思ったんだ。

12月25日

なんとした事だ!!トルコのガイドブック、失くした!!今年の2月に引っ越してきた時は捨ててないと思うのだが・・・無いものは、無い。あれが無いと今の私には日程表に“マウソレイオン見学”と書いてあってもそれが超有名な遺跡である事しか解らないではないか!(←大概は超有名な遺跡である)

日程も後半に入るとガイドさんの解説をメモる事も無くなり・・・頼みのメモ書きもレース、チャイ、ソーダ・・・と御飯の時に頼んだ飲み物しか解らない。仕方がない。ネットに聞こう。

えー、マウソレイオンはエフェソスにある高さ20メートルの神殿。2500年前に作られた神殿が、大理石の神殿が、高さ20メートル。って事で、“世界七不思議”のひとつだそうです。どうやって積んだんだ?ってことね。

そうだったのか!!(← 今頃)

と、いう事は“巨大ちくわぶ”が転がってたあの神殿がそうなのか!輪切りの直径1メートルはありそうな大理石のちくわぶがね、転がってました。もちろん柱の一部です。ここは廃墟なので特筆すべき特徴もなかったのですが・・・そうか、世界七不思議だったのか。90へえ!!ありがとう学研!!

え~、そして我々はその後ボドルムへ。

トルコ人憧れのリゾート地が目的ではない我々は“他に見るべき遺跡が無い”とまで観光ガイドに書かれているボドルム城へ。このお城は水中考古学博物館となってまして、沈没船が一艘まるまる展示されてて、結構私は楽しかった。ボドルムは決して夜遊びの為だけの街ではないぞよ??

でもホテルはリゾート・ホテルで大きな温水プールはあるし、お庭を散策出来るし、売店も一杯入ってるの。レースのふち飾りが可愛くていっぱい買ってしまった。えと、温水プールは“言えば暖めてくれる物”なのか、Fが手を突っ込んだら無茶苦茶冷たかった。真冬には誰も泳がないと、そういう事?実はちょっと泳ぎたかったので(だって毎日バス乗るか遺跡見るか食べるかしかしてないうえ、トルコ料理は油っぽいのだ)残念残念。周囲にやしの木とか植えてあってとってもリゾートな感じでした。

日付は変わって本日2004年9月12日。掃除しながらふと思い出す。確か私トルコ関連のファイルは2冊作った筈。本棚の下の段を捜索すると・・・あった。ありました。たれぱんだ仕様の100均クリア・ファイル。ではでは、中を見てみましょう・・・。

K村さんごめんなさいっっ!!

ファイルの中には添乗員のK村さんが毎日毎日その日訪れた場所の簡単な説明やらその日あった事の簡潔なメモ書き。挙句はその日の天気まで!こんな素晴らしい物を毎日手書きしてコピーして配ってくれてたのに、参考にするの忘れてた。しかも
“マウソレイオン=世界七不思議のひとつ”とか全部書いてあるし。(つまり昨日は感心して学研の小学生用のページなぞ見ていたが、私が説明受けた事をすっかり忘れていただけなのである。)ちなみに学研では20メートルの神殿となっていたが、1番高さのある部分は42mもあったらしい。

12月25日

天気は晴れだった。・・・らしい(K村さんがそう書いている)。

ユーロモスでゼウス神殿を見ました。ディディマでアポロ神殿を見ました。でも記憶
にはディディマのやたらでかいメデューサの顔しか残っていない。

いやあ、メデューサでかかったなあ・・・。顔が収まりきらんって感じのアップだった。


あと古代文字で“魚”って書いてあった。2世紀のギリシャ神話~な世界にあまり魚
料理のイメージは無い、私には。けど、海だらけなんだもん。食べてたよね、当然。

私の愛して止まない厄除け守り“ナザール・ボンジュク”(画面の上とか下とかにあ
る奴)はこの神殿に行けば必ずあるメデューサを配する事で神殿を戦火とか人災?
から守っていた事が由来かという説もあるらしい。

うち、ナザ・ボン一杯あるんですけど。今年厄年の私に効いてる???

折りしもこの日の昼食お魚。(塩焼き・・・って言うとありがたみないなあ・・・シンプルな
グリル料理を呼ぼう。)チュブクというこのお魚。白身のサッパリ系で日本人が好きな
味。頂いたのは天然物だそう。高級感~♪このチュブク、養殖物は主にエーゲ海で養
殖されてるそうで・・・エーゲ海のお魚とか銘打ったら養殖物でも日本で売れそうね。何

か“エーゲ海”ってだけでうっとりよ。見た目ただの魚だけど。

午後はミレトスとプリエネ見学。プリエネは世界で初めての計画都市だそう。こう聞くと
解んないけど、碁盤の目模様の整然とした街といえばピンと来るでしょう?マラリアが
蔓延したため寂れていったそうです。小型アカイエカめ!!(←それは日本脳炎だっっ)
劇場にライオン足の椅子があって、まあ王様の席なんですが。偉そうにふんぞり返って
座ってきました。

ワタクシ、不敬罪で死刑ですか?

ホテルはエーゲ海のリゾート地。ああ、自分がエーゲ海でリゾートなんてするとは思わな
かったなあ・・・。旦那はクリスマス関係無く働いているんだなあ・・・。とかぼんやり思い
ながら就寝。まさか、旦那が婆ちゃんの危篤に駆けつけているとも知らずに・・・。ええ、
この時はまだ何も知らなかったのです。夜更けに国際電話で訃報を受け取るまでは・・。

12月26日

ホテルを出たらエフェソスへ。アルテミスを信仰する街。月と狩の女神アルテミス
。その高潔なイメージを思い浮かべながら街をあるけば“世界初の広告”と出く
わす。

ハートマークと足の裏。女の人とお金の絵。

意味合い的には“ノーマネー、ノーハニーネ!!”って娼館かよ!!

アルテミスは一生純潔で過ごしたんだぞ。それを信仰しときながら娼館建てるなよ。
えー、看板は海側にあります。つまり、字が読めない船乗りさん達に解りやす~く書
いてあるのね。足跡はそこに足を乗せてそれより小さい奴はお断りだよ!!と。つまり

『ボーヤはもう少し大きくなってからね♪』ってコト。

その辺のモラルは一緒なのかしらん。お金の絵はもうズバリです。

“女のハートは金無しでは買えないのよ♪”

って。こんな感じの娼館ですが、じゃあ現地の人は使わなかったの??っていうともち
ろんそんな事はありません。ここには男性にとっては素晴らしき先人の知恵。女性側
から見たら


“ああ、あんたら男共は古代の大昔っからしょうも無い生物
だよっっ!!全くつまらん事に知恵使いおってからにっっ!”

って仕掛けがあります。ココ、ね。“図書館の向かい側”に建ってるのよ♪んでもって
地下通路があって向かいの娼館と繋がってんの♪超悪知恵。朝に旦那が言うわけ
さね。


『今日は1日図書館に篭って調べ物をして来る!!』とか
偉そうに。で、女の勘がピコリ~ンと来た嫁が “怪しい”っつて後つけるさね。旦那、図書
館に入ってくべさ。地下から向かい側さ行くけど。しかし当時は学問は男の物。“女人立
ち入り禁止”を掲げた図書館の中まで後をつける事は嫁さんには不可能。

って事はだよ。
夕方旦那が出て来るまでず~~~っと嫁さんが見張ってても、旦那は図書館から出てく
るだけ。妙~~~に機嫌良さそうでも、女の勘が絶対怪しいと訴えても、嫁さんには浮気
の証拠は掴めないって訳。街ぐるみでしょうも無い野郎共だぜ。
きっとアルテミス様のばちがあたるに違えねえだよ。むしろ当たれ!!

か弱き女の身の儚さを嘆きつつ、旦那置き去りで旅行来てる事に関しては棚上げしつつ
我々は次のアルテミス神殿にむかった。件の世界7不思議のひとつである。7回壊され
たので7回建てたこの神殿は、いろんな物が他所に持ち出されているらしい。他所の遺跡
の一部になってるらしい・・・。そうか、大理石を山から切り出して持って来るより、他所の
神殿から貰ってくればカッティングも済んでるもんな・・・。

って、文化遺産壊したのはあんたらですか??

今となっては全てが貴重な遺産でも当時は他の権力者の力のあかし。壊す・・・かな?
壊すよなあ。建材の再利用は寧ろ合理的と言えるのかも。でも、もったいない(T_T)

 

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