心のなかで起きていたこと4 20130530

私は□(匣)ではなく、どうやら○(球体)のようでした。

角がないから、上手くテトリスバーが入らないうえに、

皆は□(匣)の上がカパッて開いてモノの出し入れがしやすいのに、

私は口が狭いらしいのです。一番面積広い部分で真っ二つに割ったって、皆より開口部、狭いもん。

だから、テトリスバーも、引っ掛かって入れづらかったらしいのです。

といっても、ドロッドロで開口部はおろか、全体の形の判別すらつかない状態だったので、

やっぱり自分ではよく解らなかったのですが。

私は小さい頃からずっと、いつか“皆と同じ”になりたかったので、

いつか同じになれると思っていたから何とか耐えていたので、

今更自分が○(球体)だって言われても、それを受け入れる事が出来ませんでした。

だって、立方体と球体じゃ、容積が全然違うんだもん。

私、皆より全然足りないんだもん。

ショックを受けている私に、

『外側にも内側にもこびりついている澱を、綺麗にしてあげるから。そうしたら、随分楽になるはずだから。

テトリスバーも、そのままじゃ上手く入らないけど、細かくすれば、全部は無理だけど、前より沢山入れる事が出来るから。』

と一生懸命言ってくださっていたようなのですが、その時の私には、どうでも良いことでした。

1じゃなければ0なのです。

皆と同じになれないなら、何もないのと一緒でした。

その後しばらくはただただ泣き暮らし、何時の間にか数カ月もの時間が経っていたのでした。

5月連休の最終日。

ふと気がつくと、自分の姿が見え掛かっている事に気が付きました。

汚れが完全に落ちた訳ではなく、薄くむこう側が透けて見える程度でしたが、

こびり付いた澱は、少しずつ少しずつ、何時の間にか溶けて流れていったようでした。

中に溜まっていた分も、随分少なくなって、底の方が見え掛かっていました。

そうしたら、言われた通り、私は随分楽になっていました。

少しずつ楽になっていたのかもしれませんが、それまでは全く気がついていませんでした。

ある日、気がついたら、楽になっている事に気がついたのです。

テトリスバーのどれを中にいれて、どれをあきらめるべきか。テトリスバーはどの程度分解すれば入れる事が出来るのか。

まだまだ色々やらなくてはいけませんが、それでも。

私は楽になりました。

これが私の心の中でこの半年の間に起きていた事の、ひとつの側面です。

多分この先もまた、色々貯め込んで弱ってしまう日が来るかもしれませんが、

私は、もう自分が○(球体)である事を知っています。

だから、きっと大丈夫。今度は乗り越えられると思います。

でも、本当は、□(匣)に生まれてきたかったんですけどね。

そこはやっぱりちょっとまだ口惜しいんですけどね。 2

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