心の中でおきていた事2 20130528

自分の姿というものは、自分では見えにくいものです。

大人になる過程で、どうも自分が皆とは違うのではないかという疑問を、私が全く抱かなかった訳ではありません。

私も時には立ち止まり、わが身の観察を試みようとした事もありました。しかし、その頃には、なんだか内側も外側もヘドロの様な物がべっとりまとわりついていて、中の物が見える状態ではありませんでした。

子供のころから、何かが腑に落ちない感じがしたり、相手から当たり前にされる要求が自分にとっては酷く不当である様に感じられた時に、湧きあがった情動を抑え込み、自分の中に押し込める・・・という様な事をずっとしてきたのですが(一々爆発してたら、私は社会適応出来ませんでした。)、その際に澱の様な物が一緒に沈殿していく様な感覚がずっとありました。恐らく、澱の中に情動を塗りこめる事によって“見えないから無かった事にしようとした”のだと思います。子供なりの生きる知恵、素晴らしい。

まあ、結局子供の考えなので、“実は全く無かった事になってなかった”事は後々知る事になります。

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